私たちが見ている景色や人、物体は確かにそこに存在しているように感じるが、それは光として認識される一種の現象でしかない。さらにそれらの光景は静止することなく常に変わり続けているとともに、人々の中には記憶としてのみでしか"存在している"と言うことのできないーーある意味で脆い日常の断片と言える。この作品では写真を立体化した後パズルのように再構成することによって、そのような揺れ動く日々の表現を試みた。フィルムにより立体化された写真は距離や角度によってその輪郭が変化し、同時に反射する表面は記録写真としての機能が低下する。抽象化された画面から浮かび上がるのは私に関係のある人物であるが、その関係性とは別に”記憶・記録する”という行為につきまとう不確実性が見てとれるのではないだろうか。
The view that people see does not stand still. From what we call space, people, and stuffs are kinds of phenomenon, which is only a fragment of memory. These are the concept of this work to draw the scenry as a piece of that memory. I printed my friend’s face on polyester film. Then cut them into pieces, and folded them into a petal-like shape. The series of acts that reconstruct photos makes the boundary ambiguous between our memory and things that exist. So this art work expresses that existence is uncertain.